安楽死について
コラム 安楽死について
どもYoshiです。今日はちょっと重いテーマで行きたいと思います。
命あるもの、必ず死ぬときが来ます。時間の長さに差があったとしても、必ず死にます。
これは避けようの無い事実であり、
さだめともいえるかも知れません。
今回このコラムを書いてみようと思ったのは、 LIVING WITH DOG様のグッバイ・マイフレンドを見たからです。
基本的に、この記事がどうとかそういうのはまったく無くて、あくまで、触発されたという感じです。皆さんと同じで、飼い犬(猫)も元気にしているうちは、そんなこと考えたくないし、考えないでしょう。(まあ当事者もそうだと思いますが)
動物の安楽死については、当然どちらの意見もあります。良いという人とだめという人とどちらも、僕は正しいのではないかと思いますし、正しく無い面も含んでいると思います。簡単に言えば、それは、
安楽死される側が、自分ではないからです。 |
例えば、自分で考えてみれば、「自分」を安楽死して欲しいかを決めるのは、自分自身です。「尊厳死、安楽死」どちらを選択しても、当事者の希望であればいいでしょう。(ただし法的にどうこうや倫理は無視していますから勘違いの無いよう)それは命を持つ個人の意思であるわけですから、誰も触れてはいけないし、人間として最後を決めるのであれば、それはその人が持っているものと考えているからです。
ではペットはどうでしょう。
どんなにその子のことを考えていても、どんなに溺愛しても、犬には人間の社会が理解できないし、猫だってわかりません。わかるのは、「飼い主」という事です。だから、無性にかわいく感じることが出来ると考えています。そのペットの最後を飼い主が決めるという事時点からもう無理があるのです。
自然というフィールドで考えて見ましょう。
完全に弱肉強食の世界で、事前が生き死にを決めています。動物も自分でえさが取れなければ、病気になれば死んでしまうわけです。つまり「自由とは、死をかけた産物」であるわけです。この世界には、安楽死もへったくれもありません。強きが生き、弱きが死ぬ。厳しく感情的には悲しくなりますが、それが自然の世界です。
逆に人間の世界は、理想としてその部分をなくして公平にを目指しています。(と信じたいが・・・)その中で安楽死。。。頭が痛くなりそうです。
動物は確かに動けて、走れてこそ「生きている」感じることがあります。確かにただ苦しんでいるのを見ているだけというのはとてもつらいし、だったら楽にとも考えるのも本当に良くわかります。つらさにも耐えて、自然のままやれるだけやって死なしてあげた方がいいという意見ももちろん賛成できます。
はじめに戻ってしまいますが、どちらも正しく、どちらも間違っている部分があるのです。それは人間社会が完全な自然ではないから。
最終的に決めるのは、この人間社会では飼い主になるわけです。僕にもきっとその時がやってくるでしょう。
多分、「じゃあ貴方はどうするの?」 と聞かれてしまいそうですが、僕はそのときに考えてみようかと思っています。ただその問題から絶対に逃げないとは考えています。
とりあえず、今を元気よく、健康に生かせることが飼い主の責任だと信じて。
ではまた。